即使青春美丽已消逝

     
2月24日 今年も この公園に この花を 見に行ってきた
今年は 一人で 行った
いつも 車いすを 押している手が さびしそうに していた

毎年そうだけれど この時期は まだ 寒い 
この日も 天気は よかったけれど 風は 身を突き刺すような 冷たさ であった

この花を 見に来ると いつも あの人たちが 浮かんでくるのだ


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2月も 終わりに 近づいてきたね

今日は 窓際の部屋は 明るい陽が 差し込む
春の訪れを 感じさせる 暖房のいらない日である
春になると 聴きたくなる唄がある

「即使青春美丽已消逝」 この歌は 

「Believe me, if all those endearing young charms」 という アイルランド民謡である

作詞は トーマス・ムーア

日本では 「春の日の花と輝く」 という 曲名で 知られている
日本語の歌詞は けいちゃん の すてきな訳詞がある


1 春の日の花と輝く
  うるわしき姿の
  いつしかにあせてうつろう
  世の冬は来るとも
  わが心は変わる日なく
  おん身をば慕いて
  愛はなお緑いろ濃く
  わが胸に生くべし

2 若き日の頬は清らに
  わずらいの影なく
  おん身今あでにうるわし
  されどおもあせても
  わが心は変わる日なく
  おん身をば慕いて
  ひまわりの陽をば恋うごと
  とこしえに思わん





BGMは この人たちが唄う 「即使青春美丽已消逝」 にした
3回続けて BGMは この国の人が 唄う歌です

前回の投稿でも 書いたように
私は この国の 言葉の 響きが 佳織が 素綺なのである

この国の歌には ゆっくりと 流れる

美しい メロディーが ある
美しい ハーモニーが ある

自然な声の出し方が 
私の こころに やすらぎを もたらして くれるのだ


近年の どこかの 国のような

リズム依存症の 曲 。。
雨後の ぼうふら ダンス 。。 を 踊りながら 歌う歌
歌声が 曲のサウンドの 一部と化し

美しいメロディー も
美しいハーモニー も

失われた 曲 

歌っている その人の 心の景色が 全く見えてこない 
猫なで声で 歌う 歌を を 
私は どうしても 受け入れることが できない のである


人には その人 その人 の 「時の流れ 時間の流れ」 がある

そして 私には 
昨今の この国の 曲の 早さ 流れには ついて 行けない のである


母親の 体内で 聴いていた 「音」 「リズム」 が
その人が 一番 安らげる 安心できる 「音」 「リズム」 だと すれば

母親が 「身ごもった環境」 が

雨風の音 波の音 小川のせせらぎの音 鳥や虫の鳴き声
などなどが 聴こえる 環境

そんな 環境の中の 「音」 「リズム」 を
母親の 体内で 聴きながら 生まれてきた子供と


近年の

通勤電車の雑音 線路からの振動
都会の喧噪 母親の働く工場の大きな音 などなどを

聴きながら 生まれてきた子供 が どんな 「音」 「リズム」 に 
一番 安心感を やすらぎを 感じるのだろうか と 考え 想像してみる と 

昨今の

リズム依存症の 曲 
いつも 体を動かしていないと
落ち着かない 雨後の ぼうふらダンス症候群
のような 歌が 曲が

今の 若者に 支持され 受け入れられているのも
わかる気 「が」 わかる気 「も」 する のである 。。。。。 

下手に 自分を 出してしまうこと に よって
この 世知辛い 世の中に 生きてきて
おそらく 被ってきた ので あろう 数々 の 被害 苦しみ
を おもんばかる に つけ

ああいいう 自分を 見せない 「猫なで声」 も
やむを得ない のだろうか ?

いや ああいう声の出し方は 
安易に 流行に流されただけの 
かわいい子 ぶりっこの 物まね なのかも しれないけれどね ?

いつも 群れをなして いないと 生きていけない ?
動物としての 悲しい習性なのかも しれないけどね ?








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若き日の頬は清らに わずらいの影もなかった 母も
今では 病床に ふし いつしかに あせてうつろい
世の冬は来るとも

わが心は 変わる日なく おん身をば 慕いて
ひまわりの陽をば 恋うごと とこしえに思わん

今年は そんな 思いで この歌を 聴いています

悲しいですね 本当に 悲しい 。。。。。












































      
 

 
[ 2017/02/26 23:00 ] 未分類 | TB(-) | CM(-)